Yam's study memo

3月 28

R&D: りょうえんダイアリー

            ryosukeishii.hatenablog.com | Nov 30th -0001                                                                                 しなやかに伸びていくひとと、頑なに崩れ堕ちていくひとがいる。 

学生時代、面白いひとに囲まれて過ごした。もちろんそれは、今もそうなのだけれど、今回はちょっと、昔話からはじめよう。

「アクティブな東大生」で「学生起業家」だったし、いまの会社の社長に誘われて会社を興すまでは、就職しても楽しそうだと思っていたので、内外トップティアのコンサルティングファームから、コンテンツプロバイダーに、投資会社に、ノーベル平和賞を獲った銀行や、デザインファームまで。それはそれは(節操なく)いろんな会社でインターンをしたり、していた。ミーハーですね。笑。

だから、それはもう「優秀」と言われるひとたちが、周りにはたくさんいた。面白い仲間にも、素敵な先達にも会えて、それは僕の人生のひとつのリソースになっている。

そう。パフォーマンスを発揮していた多くの、同年代のひとたち。が、居た。

その時の出逢いから2~3年を経て、みなそれぞれの道を歩んでいる。ソーシャルメディアが彼らの進捗を見せてくれるようになって、ぼんやりと「しなやかに伸びていくひとと、頑なに崩れ堕ちていくひとがいる。」そんなことを最近、思うようになった。

崩れ堕ちてゆくひとについて、いったいどうしたんだろう、と思って、考えている。

有能さの影の腐臭

たとえば、意義ある社会問題に取り組んでいたはずが、いつのまにか世界一周なんてを始めてしまって、誰にも貢献することなく、Twitterでアツい言葉をいっぱいつぶやいて「旅する名言集」みたいになってしまったひとがいる。言葉だけが上滑りしていて、なんだかとってもみじめです。

たとえば、なんとなく有名人をアサインして、なんとなくオーセンティックな会場を借りて、だけど告知文からは、どう見ても中身がなさそうな、どうみても楽しくなさそうな、イベント屋さんみたいになってしまったひとがいる(いい企画のイベントなら、喜んでいきましょう)。

たとえば、起業しているというので会ってみると、Twitterでは勇ましいことをたくさん書いているのだけれど、「本当にやりたいことは別にある」とか、自社の愚痴や業界の状況の悪さ。要は「自分が悪くない理由」ばっかり言っている人が居る。たまに、本人の貢献度の分からない、成果の自慢を聴く。

おまえたち、いったい、どうしちゃったの・・・?

昔は、確かに、輝いていたはずの「そういうひとたち」には、見せかけの有能さの影に、腐臭がある。

「本人より ”弱い” ひとたちには、実力以上に評価されている」「その人より”レベルの高い”ひとには、相手にされていない。」そんな感触もある。

素晴らしかった自分にさようなら

どうして、そうなってしまったんだろう。豊かな才能を持っていたはずの、素敵な人たちが崩れていくのを見るのは、とても悲しい。

そんなひとが少なくなって、持てる豊かな才能を、自分らしくきちんと輝かすことができる。そんな状況を創りたいから、今日はこの記事を書く。

たぶん、原因は「素晴らしかった自分にさようなら」できないから、だと思うのだ。

学生が終わって、いよいよ仕事が始まって。起業しようが、企業に入ろうが、研究をはじめようが、新しい仕事、よりよい仕事、価値ある目標に向かおうとすれば、できないことがいっぱい出てくる。

悔しいけれど、だってその仕事に値する実力はまだどう考えたってないのだから、泥臭く目の前の現実に取り組むしか、ない。少しの成功も少しの失敗も、混沌を混沌のまま、複雑さを複雑さのまま、受け入れるしかないのだし。ちからのある人に力を借りるしかないのだし。仲間に助けてもらうしかないのだし。量が質に転化するのを、待つしかないのだし。

だけど、素晴らしい成果を出していたから、成功していたという足かせがあればあるほど、どんどんと苦しくなる。助けて、って言えない。手伝って、って言えない。ごめんなさい、って言えない。言えないまま、だけど時間は過ぎていくのだから、どんどん苦しくなる。

もう、誤魔化すしかなくなる。失敗を覆い隠そうとしたり、あろうことか成功したかのようにごまかそうとしたり。本気じゃないことにしたり、周りのせいにしたりする。

もしも、自分のキャパシティを超えていい仕事がしたいなら。今より多くの価値を社会に届けたいなら。「素晴らしかった自分にさようなら」しないといけない。学生の頃ちょっと凄かったからって、たかが知れている。たかが、知れている。

そのままで終わりたくないのなら、背伸びするしかないのだし。背伸びして伸びた背丈を、後から測ると成長というのだし。そしてなにより、過去は過去。

貢献のフォーカスは、いつだって仕事の品質。

なぜ「素晴らしかった自分にさようなら」できないのだろう。それは、焦点がどこまでも「自分」だから、なのだと思う。仕事をするとき、フォーカスはだいたい、ふたつある。自分か、仕事か。

フォーカスすべきもの。それはいつだって、仕事の品質。社会に届けた価値。目の前のあなたのお役に立てたということ。それしかない。

自分にフォーカスすると、自分が主導権を持たないプロジェクトへ、コミットがなくなる。何故なら、そのプロジェクトが上手くいっても、自分には関係ないと思ってしまうから。

自分にフォーカスすると、大きな仕事ができなくなる。何故なら、自分より優れた人を巻き込むことはできなくなるから。

自分にフォーカスすると、良い仕事ができなくなる。何故なら、よりよい成果を挙げるためでも、批判を受け入れられないから。貢献の対象を蔑ろにするから。

自分にフォーカスしている人が大好きな「自分に主導権のあるプロジェクト」。でも、彼とは、誰も仕事をしたくない。何故かというと、彼が成果を出すために”使われている感”というのがあるから。

自分にフォーカスしているひとは、成功しているときはいいが、状況が悪くなると人のせいにして、やめてしまう。新しいことをはじめようとする。そうして、何もモノにしないまま、渡り鳥を続けるのだ。

現実をまっとうに視るということ。

こんなことを書いている僕も、こういう時期は、あった。

状況が悪くなると、ひとは自分を守りたくなる。そのあたりの落ち込みと、そこからの脱出、人生を通して繰り返してきたパターンからの脱出については、別のところで書いたから、詳しくはここでは書かないけれど、メンバーに嫌な思いはさせたし、成果は出ないし、まあ、さんざんだった。視野が日を追うごとに狭まって、現実が見えなくなっていく。

だけど、そこから人は出れるのだと思うし、自分にフォーカスするよりも楽しく良い仕事ができるし、ストレスも驚くほどすくない。

マッキンゼーに行く後輩が居る。一年も前に、進路の相談にのっていたときのこと。色んな夢をきらきらと語ってくれたあと。そして、色んな会社からオファーを貰ったことを自慢気に話したあと。彼は振り絞るように、こう言った。「リョウスケ、おれ、やっぱりベンチャー行くの怖いから、マッキンゼーいくよ。」その弱さを認めた彼は、きっとマッキンゼーに入って、ぐんと伸びるんだろう。そのうち一緒に、仕事がしたいなあ、と思っている。

ところを得る

自分が輝ける場所と、輝きたい場所は、たぶん、ちがう。強みによってしか価値を産み出せないのだから、輝きたいならば、強みに集中するよりない。武器を磨いていくよりない。

強みとは、自然にやってること。毎日、毎月、人生の至る所で自然と繰り返してきた思考と行動の癖。繰り返し行なってきたから、磨きこまれていて、誰か他の人が追いつけない高みに到達したもの。

そこに集中するしかないのだけれど、隣の花は赤くて、芝生は青くて。自分が自然にできることに、ひとは価値を感じない。

「自分」にフォーカスすると、輝けない場所で苦しむことになる。「仕事」にフォーカスすると、成果が出る場所、輝ける場所に注力できるようになる。

そして、強いところも、弱いところも、まっとうに現実がみえれば、やりようはある。自分に矢印が向くと、現実がみえなくなるから。だから怖い。

フォーカスを「いい仕事」に切り替えると。つまりそれは、貢献に。つまりそれは、価値を産み出すということに切り替えると。少しだけ視野が、戻ってきます。そして自分が、見えるようになります。


Twitter:ryouen

Original Page: http://ryosukeishii.hatenablog.com/touch/entry/2012/03/10/120721


3月 16

とにかく本当の自分でいてください。自分を飾らず、本気で喧嘩をし、懸命に働き、心から笑い、人を気遣い、ありのままの姿をさらけ出すのです。

企業の上層部には、すべてを知っているようで何を考えているのかわからない、飛びぬけて仕事のできる連中が存在するものです。しかし、そのような幹部は、めったにトップの座につくことはできません。よそよそしすぎて人を動かすことができないからです。

本当の自分でいることが唯一の資質だと言っているのではありませんよ。グローバル市場で成功するためには、機知に富み、好奇心旺盛で、高い協働能力を備えていなければなりません。決断を下す勇気と粘り強さも必要ですし、自信と謙虚さを両方持ち合わせているべきです。

さらに必要な2つの資質を加えましょう。1つは重い責務に耐えるしなやかさです。ゲームに本当に参加している人は誰でもどこかで落ち込みますから、これは必須です。けれど必死になりすぎて、あまりに人間的なミスをおかしてはいけません。そのミスとは、「成功=ミスを最小限に抑えること」だと考えることです。本当の成功者は、失敗から学んで戦略を立て直し、そこから新たな活力と確信を持って再出発するものなのですから。

もう1つは、「予想する力」です。社会に出た時点で、こういった「第六感」を備えている人は、事実上一人もいないでしょう。競争相手が何を考え、顧客がどんな製品やサービスを求めるようになるかを察知するには何年も、ときには何十年もかかります。けれどこの能力を早く育てれば育てるほど、遠くまで進むことができます。

どこにいても、本当の自分でいることをあなたの核ととらえてください。感情的だとか、会議でむきになりすぎると上司に小言を言われる恐れがありますが、それ以外に必要な能力とスキルを備えてさえいれば、あなたの人間らしさはやがて組織にとって最大の魅力になるでしょう。あなたがどんな人間で、どのような人を引き寄せ、他の人にどのようなパフォーマンスを期待するかを、部下も上司も理解するようになります。あなたは多くの人とつながり、彼らに活力を吹き込み、リーダーとして彼らを率いるのです。

成功には幅広いスキルが必要で、そのほとんどは、獲得し、開発し、磨く必要があるものです。しかし、最も大切なものは、すでにあなたの中にあり、外に出るのを待ち構えているのです。
どうかそれを邪魔しないでくださいね。

プレジデント 2010年1月18日号

Original Page: http://president.jp/articles/-/5285


2月 25

最後にもう一つ考えておきたいのは、節目で十分な情報もなしに大きな意思決定をせざるえなくなったらどうするか、という問題です。

アメリカのキャリア専門家ジェラート博士は、現代のようにキャリアの先行きに不確定な要素が強く、合理的な選択が難しい時代には、むしろ直感的な意思決定を重視すべきだといっています。最終的には直感で判断しなければならない部分があるのでしょう。

たとえば、結婚にしても、多少付き合ったぐらいでは、相手が人生のパートナーとしてふさわしいのかどうかはわかりません。最後は直感でエイヤーときめるしかない。キャリアも似たようなところがあります。

(略)

じつは私がマッキンゼーに入ったときも、マキンゼーがどういう会社なのか、ほとんど何も知らなかったんです。もし事前によく調べていたら、入社していなかったかもしれません。まさに無知の勝利です。

直感力を鍛えるには、日頃から夢想する癖を付けることです。普通大人になればなるほど、非現実的なことはイメージしなくなるじゃないですか。でもそれではだめだと思うのです。

p258,259

スローキャリア (PHP文庫): 高橋 俊介: 本


1月 10

1月 2

2011年振り返り(4-6月)

  • 4月(アフリカへ/南アフリカ共和国、ナミビア、ザンビア、ジンバブエ)

3月に帰国してから急いで手配したチケットでアフリカへ。トルコのイスタンブールトランジットで南アフリカ共和国のケープタウンへ。治安が悪いということでドキドキしながら空港からLong streetへ。しかし、到着して宿の兄ちゃんに聞けば、人通りの少ない道にいかなければ大丈夫ということで、なんということはなかったです。

一番大きな事件としては、ナミビアでパスポートをなくしたこと。ナミビアからザンビアに入る国境付近で国境越えの準備をしようと荷物の中のパスポートを探したら、あるはずの場所にない。バス必死で探すも見つからず、国境付近のガイドブックにも名前が乗っていない町に一泊して、パスポートをなくしたと思われるナミビアの首都ウィンドホックへ戻りました。国境付近での一泊、ウィンドホックへの道のり16時間はパスポートを無くしたことに対して本当に惨めな思いを抱えていました。せっかくアフリカまできたのに、こんなところでパスポートの再発行に1ヶ月ほど足止めをくらってしまう、と。しかし、うじうじしていても仕方がないので無くしたことが発覚するまではなるべくそのことを考えないように、また、無くした場合の過ごし方を考えて気丈に振る舞っていました。結局ウィンドホックについた後、町中を探しまわったところ両替商であっさり発見。ことなきをえたのでした。

けれど、この経験は今でもよく思い出します。パスポートがなければ、移動するらできない。個人としての弱さを思い知りました。また、このときのアフリカから出られないという恐怖に比べればたいていのことはたいしたことがないように思えます。

ちなみに、この後、ジンバブエのビクトリアフォールズで100mからのバンジージャンプをしました。この月は人生で最も恐怖を思い知った月でした。

  • 5月(タンザニア、ルワンダ、ウガンダ、ケニア)

タンザニアのダルエスザラームはアフリカで当時最も治安が悪いといわれている都市でした。そんなダルエスサラームに朝3時に到着してしまいました。途方にくれていたら、乗客の一人に「宿代をうかしたかったらバスに泊まっていきないよ」と言われ、そのままダルエスサラームの真ん中に一泊。早朝に起き出して、ウガンダ人に連れらて朝の市場へ。ザンジバル島へいく船に乗りたかったので、そのまま案内してもらい、船乗り場へ。昼過ぎのザンジバル島行のチケットをとり、両替をしに。これがよくなかった。その日はイースター前日のため、銀行は軒並み休業中。仕方がないので、街の両替商に両替をしてもらったらまんまと100ドル盗まれました。両替商が100ドル分のタンザニア・シリングを取ってくるからと店の奥にいったのが最後。そのまま店の裏から抜け出されました。近くにいたカップルの男に声をかけて一緒に捜索してもらいましたが、結局見つからず。警察にいっても無駄になりそうだったので、

対照的にザンジバル島はとてもよかったです。敬虔なムスリムが人口の大半を占めており、アフリカで最も落ち着ける場所でした。マウイカ・ゲストハウスで本を読みながら過ごしました。

ガイドブックなしでルワンダも、よかった。アフリカのスイスと言われるだけあって、街並みも美しく人も礼儀ただしかった。ただ、物価は異常に高騰していてお財布は厳しかったです。

  • 6月 (トルコ、エジプト、イスラエル、ヨルダン)

ケニアのナイロビからトルコのイスタンブールまで移動しました。アフリカ周遊を終えて、たどり着いたトルコは夢のような国でした。綺麗、安全、人も親切。もちろんアフリカ諸国の人もあとから考えれば親切な人がほとんどでしたが、潜在的な危険を考えるとあまり落ちつかなかったです。このあとは、エジプトまで飛んで、ヨルダン、イスラエルへ。その後、エジプトのダハブで帰国までの間、ダイビングのライセンスを取得して、帰国しました。 この旅を今振り返ると随分と勇気を使ったなと思います。当時は、ただ次の目的地にたどり着くために、見たいものをみるために前に進んでいましたが、もし全体像を当時の僕が把握していたら、力を出し切ることはできなかったと思います。目の前のことを、愚直に頑張ることで達成できることもあるとしった。旅でした。 加えて、この旅では随分といろんなものに助けられたと思います。人に聞かなければ決して達成できなかった。次にいく場所すらわからなかった。泊まる宿もわからない。つくづく人に聞くことの大切さをしりました。(次は人と一緒に作り上げる方法を学びたいです。)


12月 25

2011年振り返り(1-3月)

  • 1月 修士論文執筆

修士論文を書いて、修士発表の準備をしていました。12日が修士論文の提出だったので、正月から12日までは近くのマクドナルドまで自転車でいって徹夜で書くという生活をしてました。12日に修士論文を提出してからは、2月頭の最終発表の準備、加えて、2月からの旅行の準備を進めて行きました。バイトの量を増やして、少しでも旅行資金を増やしたり、歯医者の治療を終わらせるために通院を増やしたりと、スケジュールは過密でした。旅行についてもそれでも、旅行が楽しみだったのでそんなにはつらくなかったです。

  • 2月 南米へ(ペルー、ボリビア、アルゼンチン)

修士論文の最終発表が2月1日、合格発表が2月3日にありました。結果は無事に合格。最終発表の最後に副査の先生から突っ込まれましたが、論文のテーマ、品質は修士論文に値するという判定でした。その突っ込み、もう少し早く聞けていれば、論文に反映できたのにと少し残念でした。

そのまま、2月4日の夕方には南米行きの飛行機に飛び乗りました。成田発、ヒューストン経由、ペルーのリマ行き。旅のおおまかなスケジュールは決めていたものの、詳細を全く決めていなかったので、飛行機の中でガイドブックを読み込みました。

2月中ペルーのリマからボリビアを抜けて、アルゼンチンのカファラテまで移動しました。なんといっても忘れられないのはペルーのマチュピチュとボリビアのウユニ塩湖ツアー。マチュピチュやウユニ塩湖もすばらしかったのに加えて、マチュピチュまで10kmの道をともにしたチリ人やウユニ塩湖ツアーを3泊4日ともにしたスイス人とボリビア人、ギリシャ人忘れられません。リマでは到着そうそう道に迷ってしまって片言の日本語をしゃべる日系人に助けてもらったり、ナスカではバスで隣だったあんちゃんに「安いナスカフライトがあるから」と町中をさんざんつれ回されたり、クスコからマチュピチュの道中では土砂崩れが起きたり、クスコからボリビア間では高山病のためずーっとお腹を壊していたりと、つらいこともたくさんあったけど、それぞれの場所であった人たちのことを思い出すとよい日々だったなと実感できます。

  • 3月 南米から日本へ(アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ)

3月はアルゼンチンからパラグアイに入り、そのままウルグアイに抜けて、船でアルゼンチンのブエノスアイレスに戻りました。アルゼンチンからパラグアイに入った理由は、アルゼンチンの物価が高騰しすぎて、旅のバジェットがタイトだったため。ガイドブックの2、3倍は当たり前でした。

3月に訪れた場所でよかったのはアルゼンチンのイグアスの滝、ブエノスアイレスのタンゴ、パラグアイのイグアス移住地、、ウルグアイのモンテビデオ。アルゼンチンのカフェラテで道中を一緒にした日本人のおばちゃんもわすれられません。

3月11日を過ごしていたのはパラグアイでした。朝起きると、宿のおかみさんが「地震があったけどあなたの家族は大丈夫なの?」と聞いてきました。その日からは僕が日本人であることを知ると、みんな「大丈夫?」と声をかけてくれました。震災後の日本人の冷静さについて信じられないといった様子で議論を吹っかけてくるおばさんもいました。

17日にはブエノスアイレスからヒューストン経由で日本に戻ってきました。震災の影響で卒業式がなくなってしまいましたが、かわりに3月末は毎晩飲み歩いていました。


10月 10

立花隆は、結局のところ〈教養〉がないのだ。〈教養〉というのは知識の問題なのではない。ふっと、自分の経験を離れる力のことを言う。

世の中には、弁護士もいれば、大学教授もいる。知識人もいれば、芸術家もいる。魚屋もいれば、サラリーマンもいる。それらは、それ自体自立的でまったく出くわす場所がない。共通な言語がない。極端な尊敬か、極端な侮蔑だけが、それらの世界どうしの会話を成立させている。

それは、排他的な関係をひたすら強化するだけのことだ。しかしながら世界の真理は、それらの間に共通言語や普遍性を〈場所〉としてもつわけでもない。〈教養〉というのはひとつの領域でもなければ、「勉強」や「読書」の対象なのでもない。あるいは登り詰めれば到達できる頂点(境地)のようなものでもない。

今日、私はファーストキッチンで、フライドチキン、ポテトのS、コーラのM、家内はクリーム白玉ぜんざいを頼んだが(ゴールデンウイークにもかかわらず夫婦そろって貧相なところですごしていたが)、デザートとソフトドリンクは「セットにされた方が100円お安いですよ」と店のアルバイトの女の子に言われたらしい。

「じゃそれにして下さい」と家内。ここまではアルバイトもマニュアル通り(=経験通り)。「どうもありがとう」と家内が言った瞬間、一瞬、間があった。どういったらいいのかわからなくなって笑みをこぼしながら「どういたしまして」とその子は応えたらしい。

この「どういたしまして」という発言の力は、その子の〈教養〉というものだろう。コミュニケーションというのは(もしそんなものが存在するとしてのことだが)、知識の共有や情報の共有から生まれるものではなくて、こういった〈教養〉からしか生まれない。

「100円安くなった分、コーラのLにしませんか」などというようにして、立花隆は「ぼくが読んだ面白い本 …」をすすめているだけなのだ。立花は、ファーストキッチンの女の子以下なのである。

http://www.ashida.info/blog/2001/05/post_49.html


9月 21

僕に聞く時点でわかってると思いますが、僕なら伸ばします。それが僕の社会人として、プロとしてのけじめです。プロにとって、成長というのは会社ではなく自分がマネジメントするものであって、その成長の結果を会社という顧客に販売するというのが社会人です。僕が雇う側の人間なら、このご時勢にそうやって自己投資する才能のある人ほど貴重な存在はないので、行って来ればいいと思うでしょう。 ただ、そう思わない会社や現場もあるでしょう。どういう形であれ、自分の行動の責任を自分で取る、それがプロとしてのけじめです。

あしあと帳 - 愛の日記 @ ボストン


7月 30

虚栄心とは、高い自意識によって引き起こされる自尊心の一種であり、自分は称賛をうけるにふさわしい、できれば公に認められたいという感情である。その定義を踏まえると、私たちは多かれ少なかれ、うぬぼれ屋であることをみとめなければならない。したがって、チームで仕事をするにあたっては、この人間的な側面を考慮する必要がある。自らの虚栄心を広く知らしめたい人などいない。少々うぬぼれていることすら認めたくないのがふつうだろう。よくありがちな間違いは、グループをまとめる際にその点を考慮しないことである。もっとひどいのは、指導者が自分自身の虚栄心とだけ向きあえばいいと思っていることである。

サッカーでもビジネスでも、成功をおさめるチームは仕事のあらゆる面でつねにバランスがとれており、メンバーが互いに能力と貢献を認め合い、称賛しあうチームである。グループのリーダーは、メンバーがどんなに優れていても、ひとりの力だけでチームに勝利をもたらすことはできないという点を理解しなければならない。グループには調和が必要不可欠であり、それは個々のメンバーが、それぞれの貢献に応じて公正に扱われていると感じる状態の上に成り立っている。言い換えるなら、程度の差はあれ、彼からの虚栄心が満たされているという状態である。

(略)

以上を踏まえ、チームを取りまとめるためにひつような3つのルールを提案したい。

  1. 「私」を「私たち」に、「私の」を「私たちの」にかえていく
  2. 成功するためには、チームのメンバー全員の努力が必要だと認識する
  3. メンバーの貢献に対しては、それがどんなに小さなものであろうと、公の場で感謝の意を示す

これらは重要なルールである。なぜなら、どれも真実であるからだ。

ゴールは偶然の産物ではない~FCバルセロナ流世界最強マネジメント~: フェラン・ソリアーノ, グリーン裕美: 本


7月 6

動機の善か悪に関係なく、リーダーが権力を上手に使って、困難な問題に対して善なる結果をもたらそうとするとき、多くの場合、冷徹的なリアリズムと、人間的な善との狭間でいろいろな相克に直面する。それは権力者としての地位が上がるれば上がるほど、逃げ場のない深刻な相克となる。

全体の利益と部分の利益。手段の正当性と目的の正当性。経済的な合理と人間的な情理。これらを正反合するためには、リーダー自身の中に、理想や理念を追いかけ続ける強い志と、それを実現する過程での人間界の悲劇をも飲み込むリアリズムとが、共存しなくてはならない。

内村鑑三とマキャベリは、あなたの中に共存できますか?という問いである。

これはおそらく正反対に近い二つの人格を、一人の人間の中に持ちうるかということ。常人においては、きわめて困難な話だ。しかし、多かれ少なかれ、よく機能する権力者(リーダー)というものは、そういう側面を持っているのだ。

この二つを合一にできるのは、最終的にはある種の狂気のようにさえ思う。それが私がいろいろな権力者(リーダー)を身近で見、自分自身もそういう役回りを担ってきた、体験的な結論だ。日常の温厚と修羅の鬼神。平時のバランス感覚と危機時の果断。この狭間には狂気とも呼ぶべき、胆力というか、腹の据わりみたいなものが横たわっているものだ。そしてこの狂気こそ、苦境や挫折の積み重ねによって培われる、究極の「挫折力」だと思う。

皆さんのまわりには、そういう狂気を持っていそうなリーダーはいますか?あなたは、そういう狂気を自分の中に見出せますか?そして、自らの狂気を、善なる目的のために使いこなす自信はありますか?

—pp246-248

挫折力―一流になれる50の思考・行動術 (PHPビジネス新書): 冨山 和彦: 本


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